私にとっての盲導犬の意義
- Akihiro Arakawa
- 3月14日
- 読了時間: 2分
今日は私にとっての盲導犬の意義について書いてみます。
あくまでも個人的な考え方なのでご了承ください。
まず、盲導犬にできること。
障害物を避けて歩く。
左の交差点で止まる。
上りや下りの段差で止まってくれる。
階段やエスカレーターを探すことができる。(近くにある場合)
座る場所を探してくれる。(電車では空席がないと少し不安です)
電車に乗る際、空いているドアに誘導してくれる。
1・2回通った道は犬が覚えているので、比較的行きやすい。
続いて盲導犬にできないことは何でしょう。
「駅に行って」などと言っても連れて行ってはくれない。
「ポストを探して」など新しいことを言ってもわからない。
交差点では進むのか曲がるのか常に指示を出す必要がある。
信号は犬にはわからない。
ホームの階段も地下図がないとわからない。
上り下りのエスカレーターは、近づかないとわからない。
つまり人が常に指示を出す必要があり、犬に伝えたらそのまま連れて行ってくれるわけではありません。
それに加えて、飲食店での拒否などもあり、外出で困ってしまうこともあります。
更に、食事、トイレ、グルーミング…犬の世話までするわけですから、大変です。
こんなことを考えると盲導犬を連れるのをためらってしまいます。
では、なぜ私は盲導犬と歩くのでしょう。
今は妻と10歳の子供と同居しており、手引きに困ることはありません。
私が大切にしている部分は、「自分なりにベストを尽くす」ということです。
見えないので人に頼らざるを得ないことは実際にいろいろあります。
だからこそ、自分でできることは少しでも自分でやろうと思っています。
手引きされて歩くのではなく、私は盲導犬と歩き、みんなの買い物の荷物を持ったりします。
そして、仕事でいろいろな施設に行く場合でも、仮に私が一人で行っても、お客様に手引きしていただく必要はありません。
「視覚障害者への配慮」は必要ですが、ビジネスでは先方が私にとっては「お客様」です。
お客様にいろいろ手を借りてしまうことは、私にとって借りを作ってしまうことになり、決して良いことではありません。
相手とは常に対等に行動することを考えると、盲導犬は素晴らしいパートナーです。
(家族と喧嘩をしたとしても、歩くことに困らないからいいですよ!)