目が見えない人は1人で歩いてはいけないの!
- Akihiro Arakawa
- 3月15日
- 読了時間: 5分
「障害者差別解消法」ができたことにより、「合理的配慮」という言葉をよく耳にするようになりました。 実際に盲導犬と行動していると、受け入れ拒否よりも、「初めてです」と喜んでくれる宿泊先もあります。 そういう意味では、ずいぶん視覚障害者にとっても行動しやすい社会になったと思います。 一方、デパートなど公共性の高い場所では、ルールが明確になり、厳しくなった面もあります。 例えば、駅から徒歩3分のホテルに泊まったとしましょう。 以前であれば、フロントの方に、「申し訳ないのですが、駅の階段の場所まで手引きをお願いできますか」とお願いすれば、大概断られることはありませんでした。 しかし現在は、「ホテルの入り口まではサポートいたしますが、そこから先はマニュアルで対応外となっており、お連れすることはできません」というような答えが返ってきます。 今までは頼まれた人がその人の「気持ち」で行ってくれたものが、今はそのようなものがなくなってしまいました。 日本最大のテーマパーク。 視覚障害者と二人きりでデートをすることはできません。 そのテーマパークでは、「付き添いの方が必須」とマニュアルに書かれており、それをその通りに運用するからです。 昔はジェットコースターでも何でも一人でも自由に乗れました。 人に聞きながら乗り場に行き、普通に並び、係の人に少し手を貸してもらえれば、それでOK。 しかし現在は、「介助の方がいないと乗れないとか、介助の人がいても乗れないという物も多く存在します。 子供が3歳の頃、妻と3人で遊園地に行きました。 3歳の子供が乗れるものです。 私も乗ろうとしたら、「付き添いの方が必要です」と止められてしまい、私は乗ることができませんでした。 それ以降、子供に「一緒に乗ろう」と言われてもいろいろ理由を作り乗りません。 また、先に挙げたテーマパークも「一緒に行こう」と言われても、私には行く気持ちにはなれません。 これが視覚障害者の会合などでもあるから困ったものです。 あるとき、視覚障害者の会合に呼ばれて講演を行いました。いつものように盲導犬と一緒に行きました。 そして、お弁当をごちそうになり、近くのガイドの方が「醤油が中にありますよ」と教えてくれたら、視覚障害者の方が 「人のガイドを使うのなら、何で一人で来るんだ、人に迷惑をかけているのだから、ガイドと歩くべきだ…」 相手はお客様ですから「すみません」と謝罪をしましたが、私には疑問が残りました。 ラビットで同行援護の事業をしているとき、ガイドを利用する視覚障害者から、「全盲の友達と食事をするので、ちょっとしたサポートをしてほしい」と依頼を受け、それをガイドに伝えると「それはできない」と断られてしまいました。 そんなこともあり、ラビットでは同行援護の事業を辞めてしまいました。 その人が頑張っていることに対して敬意を払い、ちょっとしたサポートをすることはとても大切なことだし、サポートをする側の充実感というか達成感があるのではないかと思います。 しかし、それはルールやガイドが仕事になったことにより、失われてしまったように感じます。 そういう意味では一人で歩きにくくなった社会とも言えます。
修正点:
実際に盲導犬と行動していると、受け入れ拒否より、「初めてです」と喜んでくれる宿泊先もあります。
そう意味でずいぶん目が見えない人に取っても行動しやすい社会になったと思います。
一方、デパートなど公共性の高い所では、ルールが明確になり、厳しくなった面もあります。
例えば駅から徒歩3分のホテルに泊まったとしましょう。
以前であれば、フロントの方に、「申し訳ないけど駅の階段の場所まで手引きをしてほしい」とお願いをすれば、大概断られることはありませんでした。
しかし現在は、「ホテルの入口まではサポートいたしますが、そこから先はmanualで対応外となっており、お連れすることはできません」というような答えが返って来ます。
今までは頼まれた人がその人の「感情」で行ってくれたものが、今はそのようなものは無くなってしまいました。
日本で最大名テーマパーク。
見えない人と二人きりでデートをすることはできません。
そのテーマパークでは、「お付き添いの方が必須」とmanualに書かれており、これをその通りに運用するからです。
昔はジェットコースターでも何でも1人でも自由に乗れました。
人に聞きながら乗り場に行き、普通に並び、係の人にちょっと手を貸してもらえれば、それでOK。
しかし現在は「介助の方がいないと乗れないとか、介助の人がいても乗れないという物も多く存在します。
子供が3歳の頃、妻と3人で遊園地に行きました。
3歳の子供が乗れる物です。
私も乗ろうとしたら、「お付き添いの方が必要です」と止められてしまい、私は乗ることができませんでした。
それ以降、子供に「一緒に乗ろう」と言われてもいろいろ理由を作り乗りません。
また、先に挙げたテーマパークも「一緒に行こう」と言われても、私には行く気持ちにはなれません。
これが視覚障害者の会合などでもあるから困ったものです。
あるとき、視覚障害者の会合に呼ばれて講演を行いました。いつものように盲導犬と一緒に行きました。
そして、お弁当をごちそうになり、近くのガイドの方が「醤油が中にありますよ」と教えてくれたら、視覚障害者の方が
「人のガイドを使うのなら、何で1人で来るんだ、人に迷惑をかけているのだから、ガイドと歩くべきだ・・・」
相手はお客様ですから「すみません」と謝罪をしましたが、私には疑問に思います。
ラビットで同行援護の事業をしているとき、ガイドを利用する視覚障害者が、「全盲の友達と食事をするので、ちょっとしたサポートをしてほしい」と依頼を受け、それをガイドに伝えると「それはできない」と断られてしまいました。
そんなこともあり、ラビットでは同行援護の事業を辞めてしまいました。
その人が頑張っていることに対して敬意を払い、ちょっとしたサポートをすることはとても大切なことだし、サポートをする側の充実感というか達成感があるのではないかと思います。
しかし、それはルールやガイドが仕事になったことにより、崩壊してしまったように感じます。
そういう意味では1人で歩きにくくなった社会とも言えます。